(故)芹澤博文九段は私の気になる棋士の1人である
1987年12月9日 (51歳没)ですから、なんともはや考えられないほどの
超駆け足で人生を走り去りました。
中原 誠永世名人の兄弟子であったことはつとに有名
ですが、将棋以外でも実に多彩な才能のもち主でした。
今の若い人たちの殆どはおそらくご存じないでしょうね
名人にこそなれませんでしたが、天才とうたわれた方でもあります。
何が気になってたかですが 日付60.9.9でした。
最初は何気に1960の西暦だと思っていたけれど、よく考えたら
24歳の時は七段でしたからそれはない、
と言うことはこれは昭和60年(1985)のことでした。
つまり鬼籍に入る2年3ケ月前の揮毫となります。
しかしこの色紙は、芹沢先生の人生そのものを端的に
語っているように思えてとても切ないですね。
酒で寿命を縮めたことは否めない事実でしょうけれど
人生は哀しの表現で以て、運命承知の助だったんだろうなと思います。
ある意味で、これはかたちづくりの色紙ではないのかな
ということで、これは道場には掲示していませんし
これからもすることはありません(合掌)
1987年12月9日 (51歳没)ですから、なんともはや考えられないほどの
超駆け足で人生を走り去りました。
中原 誠永世名人の兄弟子であったことはつとに有名
ですが、将棋以外でも実に多彩な才能のもち主でした。
今の若い人たちの殆どはおそらくご存じないでしょうね
名人にこそなれませんでしたが、天才とうたわれた方でもあります。
何が気になってたかですが 日付60.9.9でした。
最初は何気に1960の西暦だと思っていたけれど、よく考えたら
24歳の時は七段でしたからそれはない、
と言うことはこれは昭和60年(1985)のことでした。
つまり鬼籍に入る2年3ケ月前の揮毫となります。
しかしこの色紙は、芹沢先生の人生そのものを端的に
語っているように思えてとても切ないですね。
酒で寿命を縮めたことは否めない事実でしょうけれど
人生は哀しの表現で以て、運命承知の助だったんだろうなと思います。
ある意味で、これはかたちづくりの色紙ではないのかな
ということで、これは道場には掲示していませんし
これからもすることはありません(合掌)